小川城址(おがわじょうし)

小川城址(=本城公園)

1446年、清和源氏(せいわげんじ)の流れを汲(く)む石川政康(まさやす)は、関東(かんとう)の田舎(いなか=栃木県の小山)で蓮如上人(れんにょしょうにん)と出会(であ)い、一緒(いっしょ)に三河国(みかわのくに)小川(おがわ)に来て城と寺を築きました。

政康(まさやす)の子・康長(やすなが)が小川城(おがわじょう)を守り、親康(ちかやす)は安城城(あんじょうじょう)の松平親忠(まつだいらちかただ)に仕(つか)え、康頼(やすより)は「明了(みょうりょう)」と名を変えて蓮泉寺(れんせんじ)初代の住職(じゅうしょく)となりました。安城松平に仕えた石川氏は、岡崎(おかざき)に移ってからも歴代(れきだい)の重臣(じゅうしん)であり、親康から5代目の石川数正(かずまさ)は竹千代(たけちよ)が今川(いまがわ)の人質(ひとじち)になったときも一緒について行きました。桶狭間(おけはざま)の戦いのときは、駿府(すんぷ=今の静岡)に帰らない家康(いえやす)の代わりに、築山殿(つきやまどの)と長男の信康(のぶやす)を救い出し、連れて帰ったと言われています。