開拓記念碑(かいたくきねんひ)

開拓記念碑(かいたくきねんひ)

開拓記念碑は橋目霊園(はしめれいえん)の一角(いっかく)にあります。この辺(あた)りは、平地で建物(たてもの)も少なく、田や畑がたくさん続いていました。1944年2月頃、激(はげ)しくなった第二次(だいにじ)世界大戦(せかいたいせん)に戦力(せんりょく)を増強(ぞうきょう)するための飛行場(ひこうじょう)が作られました。海軍(かいぐん)の予科練習生(よかれんしゅせい)が訓練(くんれん)を受けましたが、2年足らずで終戦(しゅうせん)を迎(むか)え、土地(とち)は農民(のうみん)に返還(へんかん)されました。ところが、土地は農地(のうち)ではなく飛行場のコンクリートです。農地にするのに10年余りの歳月(さいげつ)がかかり1955(昭和30)3月に、海軍航空隊(かいぐんこうくたい)の防空監視塔(ぼうくうかんしとう)を開拓記念碑に改造(かいぞう)して、その開拓の労(ろう)を忘(わす)れまいとしています。