岩根城址(いわねじょうし)

 

岩根城址

 築城(ちくじょう)当初(とうしょ)の外周(がいしゅう)と大手口(おおてぐち)より城内(じょうない)に至(いた)る旧道(きゅうどう)が残されています。北、西、南に土塁(どるい)があったとされており、東側(ひがしがわ)は天然(てんねん)の堀(ほり)で鹿乗川(かのりがわ)が流れています。2013(平成25)年の調査(ちょうさ)で南西(なんせい)の堀が確認(かくにん)されています。幅(はば)が4.7m、深(ふか)さが2.8m以上(いじょう)と記録(きろく)されています。お城の広さは、約22,000㎡で、現在(げんざい)では個人(こじん)十数名(じゅうすうめい)の所有(しょゆう)となっており、「加藤(かとう)」を名乗(なの)る人がたくさんいます。築城は、鎌倉時代(かまくらじだい)の中頃(なかごろ)、関東(かんとう)から移住(いじゅう)して来た加藤正成(まさしげ)で、加藤氏は、足利(あしかが)、吉良(きら)、松平(まつだいら)に仕(つか)え、賤ケ岳(しずがたけ)の戦いに参戦(さんせん)した加藤嘉明(よしあき)はこの岩根で生まれたとする資料(しりょう)も残されています。後に伊予(いよ)の松山城(まつやまじょう)の城主(じょうしゅ)に座(すわ)ります。水口藩(みなくちはん=現在の滋賀県甲賀市)に移(うつ)ってからは、安城市野寺町(あんじょうしのでらちょう)の本證寺(ほんしょうじ)に、本尊(ほんぞん)を納(おさ)める空殿(くうでん)を寄進(きしん)しています。