和泉の大地蔵(いずみのおおじぞう)

和泉の大地蔵

和泉の大地蔵は、日清(にっしん)、日露(にちろ)の戦没者(せんぼつしゃ)と、はやり病(やまい)で亡くなった子供たちの霊(れい)を供養(くよう)するために、1907(明治40)年正月(しょうがつ)に建立(こんりゅう)されました。また、子供たちが健(すこ)やかに育つことや戦争(せんそう)の無い平和な世の中であることも願っています。そして、ここは交通(こうつう)の要衝(ようしょう)であり方角(ほうがく)の解りにくいところでもありますので、道標(みちしるべ)の役目(やくめ)も果(は)たしました。台座(だいざ)には「左あんじゃう道テイシャバ 右をかざき道」と刻(きざ)まれています。このお地蔵様の前には丸い石の輪がはめてある石柱(せきちゅう)があり、回すと「なむあみ陀仏」の文字が読み取れます。以前は、人々の往来がお寺を中心に移動していたので、西は西端蓮如さん(応仁寺)、北は知立の弘法さん、南はわしづか蓮成寺、東にさくらい野寺本証寺となっていました。鉄道(てつどう)が通るようになってからは現在のように変わりました。お祭りは年2回、お地蔵さんの日に行われます。

また、このお堂の天井(てんじょう)は、建築上(けんちくじょう)の文化財(ぶんかざい)にあたる寄木造(よせぎづく)りと言って非常(ひじょう)に珍(めずら)しい構造(こうぞう)となっています。