三河地震(みかわじしん)は、昭和20年1月13日に発生(はっせい)。震度(しんど)7.1の激震(げきしん)で、震源地(しんげんち)は三河湾(みかわわん)でした。「犠牲者(ぎせいしゃ)の霊(れい)を慰(なぐさ)め、地震の恐(おそ)ろしさを後世(こうせい)に伝えよう」と、藤井(ふじい)の人々によって、昭和52年にこの碑(いしぶみ)が建(た)てられました。
この地方(ちほう)で、最(もっと)も被害(ひがい)のひどかったのが藤井村(ふじいむら)でした。117戸(こ)の家屋(かおく)は約93%が倒壊(とうかい)し、住民(じゅうみん)611名のうち77名の死者(ししゃ)、97名の重傷者(じゅうしょうしゃ)がでました。第2次世界大戦(せかいたいせん)の末期(まっき)で敗戦色(はいせんしょく)も濃(こ)いその時期(じき)は、戦地(せんち)の士気(しき)を下げるとして、災害(さいがい)の報道(ほうどう)は隠(かく)されてしまいました。ほとんどの男子は出兵(しゅっぺい)で不在(ふざい)、ほぼ全滅(ぜんめつ)に近い状態(じょうたい)の村は、救援(きゅうえん)の手が無いまま、村の女子の手だけで復旧(ふっきゅう)に中(あた)りました。その苦(くる)しかったことから30年余りで復活(ふっかつ)した石碑(いしぶみ)なのです。