折れ地蔵(おれじぞう)

折れ地蔵

昔、宝泉院(ほうせんいん)から西一帯は西山(にしやま)と呼ばれる原野でした。1839(天保10)年の暮れ、高浜(たかはま)の商人が岡崎(おかざき)方面の集金をしての帰り道、待ち伏せていた追いはぎに、持ち物(もちもの)一切(いっさい)と命を奪われてしまう事件がありました。これを知った宝泉院17代住職は痛(いた)く哀(あわ)れみ、地蔵尊一体(じぞうそんいったい)をこの地に建てて冥福(めいふく)を祈りました。

その後、当地の角力界(すもうかい)元締めの三河山惣兵衛(みかわやまそうべえ)宅に、ゆすりの不良浪士(ろうし)が現れ、金銭の無心(むしん)を迫(せま)りました。応対(おうたい)の力士(りきし)と口論(こうろん)の末、お地蔵様の前で決闘(けっとう)となり、力士は浪士の一刀(いっとう)で全身を真二つに切られ、非業(ひごう)の最期(さいご)を遂(と)げたと思いきや、無傷(むきず)で草むらに横たわっていました。となりの路上には、血まみれで首の折れたお地蔵様が倒れていたのです。

その後も不思議な霊験(れいけん)が起こり、近所の人だけではなく遠くからも大勢の人がお参りするようになり、後を絶(た)たなくなりました。以来、「折れ地蔵(おれじぞう)」や「身代り地蔵(みがわりじぞう)」と呼ばれるようになりました。毎年8月16日には盛大(せいだい)なお祭りが行なわれています。