杉浦彦次 1880(明治13)~1937(昭和12)年。
三代目安城市長(あんじょうしちょう)を務めた杉浦彦衛(ひこえ)の父親。胸像はJAあいち中央西支店の玄関前(げんかんまえ)にあります。農村(のうそん)を発展(はってん)させる仕組みを作った人です。
西岸寺(さいがんじ)住職松林了観(まつばやしりょうかん)を師(し)と仰(あお)ぎ、杉浦源右衛門(すぎうらげんうえもん)の継年期(つぎねんき)運動を目の当(まのあ)たりにして、1907(明治40)年10月、報恩社(ほうおんしゃ)を立ち上げました。報恩社とは、農村経営の近代化(きんだいか)を考える人々の集まりです。その後、福釜信用組合を経由し、発展的改組(はってんてきかいそ)を重ね、丸碧(まるへき=碧海郡購買販売組合連合会)の基盤(きばん)を造ります。そして、他村から立ち上がった組合とも合流(ごうりゅう)して県から全国へと発展させます。みずからは、愛知県信用組合連合会の常任理事(じょうにんりじ)を務めたり、産業組合(さんぎょうくみあい)中央金庫(ちゅうおうきんこ)の総代(そうだい)としても組織の確立(かくりつ)と発展に力を注(そそ)ぎました。