杉浦彦衛 1904(明治37)~1980(昭和55)年。
福釜信用組合(ふかましんようくみあい)の初代組合長杉浦彦次(ひこじ)の長男として生まれ、福釜農業協同組合の組合長を、父親に続いて勤(つと)めました。その後、県会議員(けんかいぎいん)を経(へ)て、1967(昭和42)年から3期(12年間)三代目安城市長(あんじょうしちょう)を勤め、持論(じろん)だった都市改造(としかいぞう)と農地(のうち)の大区画整理(だいくかくせいり)の改革(かいかく)を、持ち前の説得力(せっとくりょく)と実行力(じっこうりょく)で安城市一円をほぼ完成(かんせい)させました。現在、彦衛の胸像は県道拡幅(かくふく)により町内会前の敷地に移設(いせつ)されています。
圃場整備事業記念碑
福釜の圃場整備(ほじょうせいび)は、大きく2つに分けて行われました。神楽山(かぐらやま)用水に関わる長田川(おさだがわ)右岸と、花ノ木(はなのき)用水に関わる長田川左岸です。前者は、1968(昭和43)年から、後者は、1972(昭和47)年からそれぞれ5~7年間で完了しました。その後も、30aから50aへの大規模化(だいきぼか)とパイプライン化(用水の合理化)へと農地の改良が進みました。これにより、近代農業(きんだいのうぎょう)の機械化(きかいか)が急速(きゅうそく)に進みました。