別郷廃寺
西三河(にしみかわ)最古(さいこ)の寺院(じいん)のひとつで、飛鳥時代(あすかじだい)の7世紀(しちせいき)後半(こうはん)に建立(こうりゅう)が開始(かいし)されたと考えられます。市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)には礎石(そせき)と考えられる石が存在(そんざい)しており、古代(こだい)の瓦(かわら)も発見(はっけん)されていて、瓦葺(かわらぶき)の建物(たてもの)が存在していたことは明らかです。2013(平成25)年の発掘調査(はっくつちょうさ)では大量(たいりょう)の古代瓦(こだいがわら)と大甕(おおかめ)の破片(はへん)などが発掘され、さらに、鴟尾(しび)の一部(上の写真)が発見され、古代寺院の存在が確実(かくじつ)となりました。
「鴟尾」とは、名古屋城で言えば「金シャチ」のようなもので、屋根上(やねじょう)に置く飾り瓦(かざりがわら)です。寺院の大きさや権威(けんい)を象徴(しょうちょう)するもので、その大きさから120cmほどの鴟尾であり、奈良(なら)の唐招提寺(とうしょうだいじ)とほぼ同じくらいの寺院であったことが推察(すいさつ)されます。尚、近くには、同等(どうとう)の寺院として安城市寺領町「寺領廃寺(じりょうはいじ)」や岡崎市北野町「北野廃寺(きたのはいじ)」にも存在していたことが解っています。