旧明治郵便局&官舎(きゅうめいじゆうびんきょくとかんしゃ)

 

旧明治郵便局と官舎(2007年安城市指定文化財)

明治政府は篤志家(とくしか)の要望(ようぼう)に対して局舎(きょくしゃ)の提供(ていきょう)と局員(きょくいん)の給料負担(きゅうりょうふたん)を条件(じょうけん)に、郵便局の開設許可制度(かいせつきょかせいど)を設(もう)け、全国に統一された郵便網(ゆうびんもう)を構築(こうちく)しました。

当時明治村には郵便局がなく、北部の榎前(えのきまえ)、和泉(いずみ)、城ヶ入(じょうがり)は安城郵便局に、南部の根崎(ねさき)、東端(ひがしばた)、西端(にしばた)は新川(しんかわ)郵便局に、東部の米津(よねず)、中根(なかね)、石井(いしい)は西尾(にしお)郵便局を使っておりました。遠くて不便を感じていた神谷八郎氏が名古屋(なごや)地方郵政局に請願(せいがん)して、郵便局の設置を申請(しんせい)し、1911(明治44)年4月20日、明治郵便局として認可(にんか)されました。三等(さんとう)郵便局です。

郵便物の集配業務(しゅうはいぎょうむ)の他、為替貯金(かわせちょきん)、保険、年金(ねんきん)、恩給(おんきゅう)、国庫金出納(こっこきんすいとう)の業務を行っていました。1914(大正3)年1月22日から電信・電話の業務を開始。1935(昭和10)年7月16日からは電話交換業務(でんわこうかんぎょうむ)も開始されました。安城局との間を毎日2回自転車で運んでいましたが、1948(昭和23)年7月1日からは自動車で運ぶようになりました。

木造平屋建て桟瓦葺(さんかわらぶき)寄棟(よせむね)造りの外観(がいかん)は洋風ですが、明治の終わりに私費(しひ)で建てられ、局舎と官舎とがセットで残っていることは貴重(きちょう)な建物です。屋根の鬼瓦(おにがわら)には『〒』の文様(もんよう)が施(ほどこ)されており珍しいものです。1967(昭和42)年に、2代目の明治郵便局が開局されたとき、業務を引き渡し、和泉町青年団(せいねんだん)の活動拠点(かつどうきょてん)として使われました。2012(平成24)年8月にその役目を終え、今は「旧明治郵便局」の看板(かんばん)が付いており、往時(おうじ)が偲(しの)ばれます。