石川喜平(いしかわきへい)1788(天明8)~1862(文久2)年
碧海郡高棚村(へっかいぐんたかたなむら)字郷に生まれ、1807年、和算家清水林直に入門し、算学、天文学、暦学を学ぶ。1812年、和算(わさん)の師範免許(しはんめんきょ)を取得(しゅとく)。1822年、都築弥厚(つづきやこう)の要請(ようせい)に応じて、明治用水開削(めいじようすいかいさく)のための測量(そくりょう)を行い、5年間で完成しました。この功績(こうせき)の頌徳碑(しょうとくひ)は高棚神明神社東門(じんじゃひがしもん)の左隣にあります。胸像(きょうぞう)は高棚小学校正門の右側にあります。
石川喜平が測量に使用した機器類(ききるい)は明治用水会館と明治川神社に保管(ほかん)され、一部は展示(てんじ)されています。