東端八釼神社・貝塚(ひがしばたはっけんじんじゃ・かいづか)

東端八釼神社

平安時代(へいあんじだい)末期(まっき)の創建(そうけん)と伝わります。1556(弘治2)年、現在(げんざい)の位置(いち)に移動(いどう)して集落(しゅうらく)の氏神様(うじがみさま)となりました。本殿(ほんでん)は、1701(元禄14)年の建立(こんりゅう)と推定(すいてい)され、希少(きしょう)な二間社流造(ながれづくり)の杮葺(こけらぶ)きです。妻飾(つまかざり)も叉首組(さすぐみ)とするなど古い様式(ようしき)が見られます。杮葺きの板札(いたふだ)から根崎(ねさき)の八幡神社(はちまんじんじゃ)と同じ西尾(にしお)の倉橋嘉右衛門(くらはしかえもん)の造りだと解っています。1798(寛政10)年には、本殿(ほんでん)を取り囲む覆殿(おおいでん)が造られ、作風(さくふう)から豊川市牛久保(とよかわしうしくぼ)の宮大工(みやだいく)岡田五左衛門(おかだござえもん)またはその一門(いちもん)による建造物(けんぞうぶつ)と推定(すいてい)されます。

貝塚

東端貝塚は、油ヶ淵(あぶらがふち)を望(のぞ)む長田川(おさだがわ)左岸(さがん)の標高(ひょうこう)6~8mの台地(だいち)にあり、神社の境内(けいだい)に続いています。この周辺(しゅうへん)は小山(こやま)貝塚や小山東(こやまひがし)貝塚なども存在(そんざい)し、縄文時代(じょうもん)晩期(ばんき)からの集落(しゅうらく)で有ったことようです。また貝ガラの種類(しゅるい)から油ヶ淵が海で、この周辺まで干潟(ひがた)であったと思われます。