東条塚(とうじょうづか)

東条塚

1540(天文9)年6月、織田信秀(のぶひで)と水野忠政(ただまさ)の連合軍(れんごうぐん)が安城城(あんじょうじょう)を攻(せ)めました。この時、安城松平(まつだいら)の援軍(えんぐん)として東条城(とうじょうじょう=現西尾市吉良町)から駆け付けたのが松平康忠(やすただ)でした。康忠はこの地を通り、安城城へ入ろうとしましたが、水野軍に阻(はば)まれて討死(うちじ)にしました。康忠は、当時の城代(じょうだい)を務(つと)めていた松平長家(ながいえ)の甥(おい)です。

この戦(たたか)いは、安城城をめぐる最初(さいしょ)の合戦(かっせん)で、第一次(だいいちじ)安城合戦(あんじょうがっせん)とも呼ばれます。上条町(じょうじょうちょう)の西あたりでは信秀と長家らが戦い、長家も討死にします。両軍合わせて千人ほどの戦死者(せんししゃ)が出ました。近くには千人塚(せんにんづか)も築(きず)かれています。