藤の里伝承地(ふじのさとでんしょうち)

村高(むらだか)の天神社(てんじんしゃ)は、菅原道真(すがわらのみちざね)を崇(あが)め、村の天神様として親(した)しまれています。本殿(ほんでん)の左奥(ひだりおく)には芭蕉(ばしょう)の句碑(くひ)があり、
 ♪ 咲くほどに 藤野(ふじの)もゆかし 春のくれ ♪
何とも奥(おく)ゆかしい上品(じょうひん)な景色が浮かんで来ます。
芭蕉が、東国(とうごく)から京へ上られた時、岡崎より矢作(やはぎ)の渡りにさしかかりましたが、水が多く渡ることができず、南下して藤野里に着かれました。里の長(おさ)の家に旅の疲れを休められました。その時に残されたのがこの句だと伝わっています。
またある歌人(かじん)は、
 ♪紫の糸繰(いとく)りかくと 見えつるは 藤野の村の 花盛(はなざか)りかも♪
と残しています。矢作川(やはぎがわ)右岸(うがん)のこの辺(あた)りはいつの頃か、藤の花が美しく“藤の里”と呼ばれ、藤の名所(めいしょ)だったのでしょう。しかし、“藤の里”とか“藤野町”と言う町名地名はありません。細かく歩いて探すと、町内会の掲示板(けいじばん)と公民館に“藤野町内会”と“藤野町公民館”として見つけることが出来ました。
川島(かわしま)、村高、河野(かわの)&下佐々木(しもささき)辺りを総称(そうしょう)して“藤の里”と呼んだようです。