姫小川古墳(ひめおがわこふん)

この古墳は古墳時代前期の豪族(ごうぞく)の墓です。碧海台地(へっかいだいち)の端に作られた全長が約66 mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。後円部が前方部より極端(きょくたん)に高く(6 m)大きいのが特徴です。国指定の文化史跡です。

墳頂(ふんちょう)には浅間(せんげん)神社があります。祭神は富士山と同じ木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。昔、難産(なんざん)で母子(ぼし)が死ぬことが続いたので、甲斐(かい)の国から譲り受けたと言い伝えられています。それ以降は、お産で命(いのち)を落とす人はいなくなったと言います。

それでは何故、木花咲耶姫が安産(あんざん)の神様になったのでしょうか?それは古事記(こじき)のお話しからです。

天孫降臨(てんそんこうりん)で高千穂の峰(たかちほのみね)に降り立った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は木花咲耶姫に一目ぼれをして直ぐにプロポーズをします。父である大山津見神(おおやまつみのかみ)の許しを得て結婚した二人は、一夜にして妊娠します。あまりにも早いので、自分の子なのか?と疑われます。それならばと姫は、「尊(みこと)の子であるならば元気な子を産むことができるでしょう。もしそうでなければ母子ともに焼け死んでしまうでしょう。」と言い残して、燃える無戸室(うつむろ)の中でお産をすることにします。

果たして、3人の元気な男の子が無事に生まれます。この3人の命(みこと)が、ホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコト、ホオリノミコト(山幸彦)です。この後、海幸彦山幸彦の話に続きます。これ以降、木花咲耶姫は安産の神様と言われる様になりました。