安城八景之一
朧夜や 嫁に化けたる 古狐 仙風舎柳月 (おぼろよや よめにばけたる ふるぎつね)
江戸時代、この周辺には御用林がありました。明治時代になって開墾のために松林を伐採することになりますと、狐が役人のもとへやってきて「私たちは、平安時代の安倍清明の母葛葉(狐の化身)以来、ここに住んでいます。私たちの住むところがなくなってしまうので、情けによって松の木を残してください」と訴えたのだそうです。その結果、4本の松を残すことになり、稲荷社は葛葉稲荷または四本木稲荷と名付けられました。稲荷社は、平成5年(1993)に、京都伏見稲荷から勧請して150年を迎えています。
安城八景とは、現安城町東尾地区に生まれた俳人仙風舎柳月(せんぷうしゃりゅうげつ、本名鈴木平兵衛1853~1942)が、開拓時代には自ら開墾の鍬を振るったといいますが、明治用水開通以前の広漠たる安城が原の風物を懐古し、あるいは民話、伝説を想起して選定した作品を、80歳の祝吟会に発表したものです。昭和7年(1932)ころの安城は、既に日本デンマークとして急速に発展した後で、柳月は開発前の風景の記憶をもとに句を読み、絵を残しました。
後に門人たち(中碧社、嘉の恵会)が中心となって、句集「柳の栞」が編まれ、句碑も建てられました。