花の滝伝承地(はなのたきでんしょうち)

「八橋(やつはし)をいでて行くに、いとよく晴れたり。山も遠きはら野を分け行く。ひるつかたになりて、もみじいと多き山に向かいて行く。人に問へば宮路山(みやじさん)と言ふ。」これは、藤原為家(ためいえ)の側室(そくしつ)である阿仏尼(あぶつに)が、所領紛争(しょりょうふんそう)を解決するために京都から鎌倉へ向かう途中に、記(しる)した日記の一部です。その内容から推察(すいさつ)すると、1277年(建治3年)頃の秋、この花の滝伝承地付近で記録されたものと思われます。とっても良い天気でとっても良い風景だったのでしょう!

摂政関白(せっしょうかんぱく)の藤原忠通(ただみち)を父に持つ慈円(じえん)はここでその景色を次のように和歌(わか)に残しています。

♪ 風わたる 花をみかわの 八つ橋の くもでにかかる 滝の白糸 ♪ 慈円

江戸時代になって、これを知る人が「花の滝」を訪ねました。でも、白糸のような美しい滝は見つけることが出来なかったのでしょうか。

♪ たずぬれど 絶えて跡なき 花の滝 青葉の風の 音のみにして ♪ 江戸狂歌

と言っています。現在では、明治用水が流れ、「はら野」が「田園」にはなってはいるものの、地形の凹凸はそんなに変わっていないと思われます。遠くの山は今も良く見えるし、景色の良いことは変わっていないと思います。