本然山(ほんねんざん)永安寺は柴田助太夫(しばたすけだゆう)の旧宅址(きゅうたくあと)と伝えられています。寺名は助太夫の法名:本然玄性居士(ほんねんげんせいこじ)とその妻の法名:安海永祥大姉(あんかいえいしょうだいし)とから付けられました。当時、助太夫はこの村の庄屋(しょうや)を勤めていました。貧しくて苦しい生活の村人を守るために、助郷役(すけごうやく)の免除(めんじょ)を領主(りょうしゅ)に願い出ましたが、受け入れられずに死刑(しけい)を言い渡されました。後に文書の成約(せいやく)があることが判明(はんめい)し、許(ゆる)されて、村人たちの手で創建(そうけん)された寺です。境内(けいだい)にある樹形(じゅけい)が見事(みごと)なクロマツは、樹齢(じゅれい)が約300年と推定(すいてい)され、東西17m、南北24mにおよび、枝張(えだば)りが天に昇る竜を思わせるので「雲竜の松」と呼ばれこの街道(かいどう)の名勝地(めいしょうち)となっています。