町名遺跡・釜ヶ淵(ちょうめいいせき・かまがふち)

釜ヶ淵(かまがふち)

西部公民館の南西方向約200m、道田川(どうだがわ)沿いの低いところに高さ146㎝の石碑(せきひ)が立っています。昔、金の釜が吹き出したからこの辺(あた)りを「吹く釜(ふくかま)」と言ったのだそうです。それが福釜(ふかま)」となったと言われています。古い文献(ぶんけん)からは、吹釜、福鎌、深蒲、二ッ釜などから変化したとも言われています。発音も「ふかま」ではなく、「ふっかま」と言われていました。

「ふっかまの里」の言い伝えがあります。

人の良いお爺(じい)さんと意地(いじ)の悪いお婆(ばあ)さんがおりました。急に地面(じめん)が震(ゆ)れて、地震(じしん)のような日が何日もありました。お爺さんは地鳴(じな)りがする辺りを見に行くと、土がもっこりと盛り上がって、金の釜が顔を出していました。お爺さんはお婆さんに見せたくて連れて行くと、ごぼごぼといって潜(もぐ)ってしまいました。お爺さんが行くと釜が吹き出し、お婆さんが行くと潜ってしまうのです。

お爺さんは、ひとりで行って金の釜を拾い上げ、きれいに洗(あら)って大切にしました。お婆さんは、近くの真木(まき)で、金の釜を殴(なぐ)りつけました。すると、金の釜は「痛い、痛い」と言って「明神様(みょうじんさま)のところへ行きたい」と言うので、お爺さんは、釜が言うとおりに、金の釜を明神様へ納(おさ)めました。すると、金の釜が出て来た淵は、きれいな水が湧(わ)き出る泉となり、周(まわ)りは田んぼが出来て、美味しいお米もたくさん獲(と)れるようになりました。ふっかまの里は豊かになったということです。