安城城(あんじょうじょう)に拠点(きょてん)を構(かま)えた松平氏(まつだいらし)は、勢力(せいりょく)拡大(かくだい)のため、地元(じもと)豪族(ごうぞく)の藤井氏(ふじいし)と姻戚関係(こんいんかんけい)を結んで藤井松平とします。南の勢力(せいりょく)東条氏(とうじょうし)、吉良氏(きらし)に備(そな)えたのです。安城松平二代目長忠(ながただ)の5男・利長(としなが)が藤井松平の初代です。二代目の信一(のぶかず)は長沢(ながさわ)の合戦(かっせん)や三河一向一揆などに戦功(せんこう)を納め、本家(ほんけ)からは厚い信頼(しんらい)を得ていました。1590年、徳川家康(とくがわいえやす)の関東(かんとう)移封(いふう)と共に栃木県布川(ふかわ)に5千石の領地を得て、藤井城は廃城(はいじょう)となりましたが、藤井松平氏本家は、山形県上山(うえのやま)3万石、分家は信州(しんしゅう)上田城(うえだじょう)で明治維新を迎えました。上田城は真田氏(さなだし)が有名ですが、最後のお殿様は藤井松平氏で、上田市民は愛知県安城市のことをよく知っています。