明治川神社(めいじがわじんじゃ)

明治川神社

明治用水(めいじようすい)は、1880(明治13)年4月18日に通水(つうすい)されました。明治川神社はこの大事業(だいじぎょう)に功績(こうせき)のあった人々「都築弥厚(つづきやこう)、伊予田与八郎(いよだよはちろう)、岡本兵松(おかもとひょうまつ)等」が祀(まつ)られています。神社の創建(そうけん)は、通水の5年後・明治18年4月1日です。祭礼(さいれい)は通水された日を記念して毎年4月18日に行われます。江戸時代(えどじだい)の歴史資料(れきししりょう)や石川喜平(いしかわきへい)が測量(そくりょう)に使った当時の貴重(きちょう)な器具(きぐ)が納(おさ)められています。

北隣(きたどなり)には通水の記念碑(きねんひ)があり、刻(きざ)まれている文字(もじ)は「疎通千里(そつうせんり)、利澤万世(りたくばんせい)」と「聖朝嘉績(せいちょうかせき)良民美挙(りょうみんびきょ)」で、前者は、記念式典(きねんしきてん)に参列(さんれつ)された松方正義(まつかたまさよし)内務卿(ないむきょう)の祝辞(しゅくじ)、後者は、その年の6月に現地(げんち)を視察(しさつ)している佐野常民(さのつねたみ)大蔵卿(おおくらきょう)が述(の)べられた言葉(ことば)です。どちらも、時の愛知県令(あいちけんれい=後の愛知県知事)国貞廉平(くにさだれんぺい)が撰文(せんぶん)したものです。松方内務卿は祝辞の最後に「今日(こんにち)の成功(せいこう)を見るに至ったことは、関係者一同(かんけいしゃいちどう)の至誠(しせい)の賜物(たまもの)であり、帰京後(ききょうご)には、この事業(じぎょう)の状況(じょうきょう)を天皇(てんのう)に奏上(そうじょう)する」と結(むす)んでいます。この新用水(しんようすい)を当時(とうじ)の政府(せいふ)がどのように評価(ひょうか)していたかを知ることができます。