花ノ木観音(はなのきかんのん)

花ノ木観音

この観音様(かんのんさま)にはとても悲(かな)しいお話(はな)しが言い伝(つた)えられております。

かって安城町字花ノ木(あんじょうちょうあざはなのき)と呼ばれていた頃、この辺(あた)りには「日本デンマーク」を見学(けんがく)されるお客様が利用(りよう)される大きな料亭(りょうてい)や旅館(りょかん)がありました。そこで働(はたら)く料理人(りょうりにん)や中居(なかい)さん、または芸妓(げいぎ)さんなどは、遠い地方(ちほう)からの出身者(しゅっしんしゃ)も多く、とても賑(にぎ)やかな街(まち)でした。そんな状況(じょうきょう)で突然(とつぜん)亡(な)くなってしまう方がいても縁者(えんじゃ)が知れず、連絡(れんらく)が取れないままこの地に葬(ほおむ)られた方もいました。不憫(ふびん)に思った料亭の主人たちが霊(れい)を弔(とむら)うために観音堂を建てました。更生病院(こうせいびょういん)のうらの狭(せま)い路地(ろじ)にひっそりと立っていましたが、太平洋戦争(たいへいようせんそう)や震災(東南海・三河地震)でお堂(どう)は倒(たお)れ、土地(とち)が借地(しゃくち)であったことなどから、昭和20年代に廃寺(はいじ)となりました。その後は木造(もくぞう)の本尊(ほんぞん)を捜(さが)す努力(どりょく)もされましたが、今もって行方不明(ゆくえふめい)のままです。廃寺から50年以上経(た)って、平成18年、地元有志(ゆうし)の方々の浄財(じょうざい)で岡崎石(おかざきいし)による新しい聖観音像を建てることになりました。

隣(となり)の小さな地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)は、壊(こわ)れた観音堂の境内(けいだい)から見つかった地蔵様です。観音前の路地道は西へ150mの安城高等女学校(あんじょうこうとうじょがっこう)の裏門(うらもん)まで一本道(いっぽんみち)なので、新美南吉(にいみなんきち)先生は登下校時(とうげこうじ)にお参(まい)りされた可能性(かのうせい)があり、この地蔵が童話「花のき村と盗人たち」に登場(とうじょう)するお地蔵様のモデルかも知れません。現存(げんそん)のものは、風雨(ふうう)で傷(いた)みがひどかったので、平成18年に造りかえられたものです。