明法寺(みょうほうじ)

明法寺(みょうほうじ)

真宗大谷派(しんしゅうおおたには)の寺院(じいん)で、開基(かいき)は円善(えんぜん)と伝えられています。親鸞聖人(しんらんしょうにん)の肖像画(しょうぞうが)で最も古いものがこの寺にあったもので安静御影(あんじょうみえい)だと言われています。1501(文亀元)年、阿弥陀如来(あみだにょらい)の方便法身尊像(ほうべんほっしんそんぞう)が下付(かふ)されており安城市指定の文化財(ぶんかざい)となっています。また、境内(けいだい)には、高さが20m、推定(すいてい)の樹齢(じゅれい)が350年のイブキがあり、市指定の巨樹(きょじゅ)です。本堂の前には、親鸞聖人の石像(せきぞう)が建てられており御舊蹟(ごきゅうせき)であることが解ります。

安静御影(あんじょうみえい)

親鸞聖人83歳(1344年)の時の肖像画で、現在、京都(きょうと)の西本願寺(にしほんがんじ)に所蔵(しょぞう)されており、国宝(こくほう)となっています。それは、ここ明法寺にあったものだと伝えられ、安静(=安城)とされています。

 

 

 

中川覚右衛門墓碑(なかがわかくえもんぼひ)

1779(安永8)年、安城村の庄屋(しょうや)・中川覚右衛門は、米の不作(ふさく)で苦しむ村民(そんみん)のため、年貢(ねんぐ)の減免(げんめん)を嘆願(たんがん)しましたが受け入れられず、郷蔵(ごうぐら)の中の米俵(こめだわら)の上で血書(けっしょ)を残して自決(じけつ)しました。その後、年貢は減免されることになり、安永(あんえい)の「義民(ぎみん)」と称(しょう)されるようになりました。大乗寺(だいじょうじ)北門の前に石碑(せきひ)が建てられており、そこが郷蔵のあったあたりで覚右衛門が自決した場所(ばしょ)と言われています。