南吉下宿先(なんきちげしゅくさき)

南吉下宿先

新美南吉(にいみなんきち)は、1913(大正2)年、知多郡半田町(ちたぐんはんだちょう=現在の半田市)に生まれ、半田中学校・東京外国語学校(がいこくごがっこう)英語部文科卒業後、昭和13年愛知県立安城(あんじょう)高等女学校に教師(きょうし)として赴任(ふにん)し、英語(えいご)・国語(こくご)・農業(のうぎょう)を担当(たんとう)しました。特に作文(さくぶん)や詩(し)の指導(しどう)に熱心(ねっしん)だったそうです。最初は、半田の自宅(じたく)から国鉄(こくてつ)を乗り継いで通勤(つうきん)していましたが、2年目から新田町(しんでんちょう)の大見坂四郎方に下宿(げしゅく)を始め、教師のかたわら創作活動(そうさくかつどう)に励(はげ)みました。安城時代は心身(しんしん)ともに充実(じゅうじつ)した時期(じき)で、単行本(たんこうぼん)『良寛物語(りょうかんものがたり) 手毬と鉢の子(てまりとはちのこ)』、童話集(どうわしゅう)『おぢいさんのランプ』を出版(しゅっぱん)しました。昭和18年、結核(けっかく)の症状(しょうじょう)が悪化(あっか)して学校を退職(たいしょく)し、実家(じっか)に帰りましたが、3月に死去(しきょ)しました。29歳7ヶ月の生涯(しょうがい)でした。