堀内貝塚(ほりうちかいづか)

 

1927年(昭和2年)道路工事(どうろこうじ)によって発見(はっけん)されました。縄文時代(じょうもんじだい)晩期(ばんき)に比較的(ひかくてき)規模(きぼ)の小さい村が残(のこ)した貝塚である。貝塚の大きさは、厚(あつ)いところで150cm、長さは、崖(がけ)に沿(そ)って約20m、奥行きが8m程(ほど)である。旧海岸(きゅうかいがん)から遠(とお)く入(はい)り込んだ洪積台地(こうせきだいち)の端(はし)に位置(いち)し、矢作川流域(やはぎがわりゅういき)では最(もっとも)も奥にある貝塚として注目(ちゅうもく)されています。温暖(おんだん)な海に棲(す)むハイガイを主体(しゅたい)として、カキ、ハマグリ、アサリなどのほかに、魚類(ぎょるい)の骨(ほね)やシカやイノシシなどの獣骨(じゅうこつ)も発見されています。土器(どき)や石斧(せきふ)、石剣(せっけん)も出土(しゅつど)しています。土器は、この地方(ちほう)特有(とくゆう)の「半さい竹管文」をつけた深鉢をはじめ、東北地方(とうほくちほう)や北陸地方(ほくりくちほう)の文化(ぶんか)と関係(かんけい)のある壷(つぼ)や浅鉢なども出土しています。これらの土器はを桜井式土器(さくらいしきどき)と名付けられています。