山崎城址(やまざきじょうし)

山崎城址(やまざきじょうし)

安城城(あんじょうじょう)に織田信広(おだのぶひろ=信長の兄)がいた頃、松平広忠(まつだいらひろただ)の叔父(おじ)である松平信孝(のぶたか)が織田の力を借りて築いたとされています。信孝は広忠の家臣(かしん)であるにもかかわらず勝手(かって)に所領(しょりょう)を広げるなどの行いをしたため、広忠と対立(たいりつ)することになりました。一時(いちじ)は今川(いまがわ)に仲介(ちゅうかい)を頼(たの)みましたが、望(のぞみ)が叶(かな)えられず織田方につき、山崎城を築いたとされています。1543年(天文12年)のことです(1547年という説もある)。その後、信孝は1548年4月に岡崎(おかざき=松平広忠)を攻めますが、広忠の軍に敗れ討ち死にしました。山崎城は、1549年に今川・松平連合軍により落城(らくじょう)し廃城(はいじょう)となりました。現在は本丸(ほんまる)の有った場所に村社(そんしゃ)として神明社(しんめいしゃ)が立っています。北側にわずかお堀(ほり)の跡(あと)が残っています。