安祥毘沙門天
平安時代(へいあんじだい)の西三河(にしみかわ)には大規模(だいきぼ)な荘園(しょうえん)が多くあり、安城市域(あんじょうしいき)とその周辺(しゅうへん)は志貴荘(しきのしょう)の支配下(しはいか)でした。その中心(ちゅうしん)である荘館(しょうかん)の周囲(しゅうい)の四隅(よすみ)に寺を置いたとされています。東に常福寺(じょうふくじ)、西に甲山寺(こうざんじ)、南に多宝坊(たほうぼう)、北に極楽坊(ごくらくぼう)です。安祥毘沙門天は北の極楽坊に福徳安全(ふくとくあんぜん)を祈願(きがん)して祀(まつ)られたものだったとされています。