西方寺
八幡山西方寺と言います。創始(そうし)は1663(寛文3)年。初代住職(じゅうしょく)は養心(ようしん)。現在は14代目。
真宗本願寺派(しんしゅうほんがんじは)の三河七ケ寺(みかわななかじ)の一つ慈光寺(じこうじ)がここ里村八幡山(さとむらはちまんやま)に所在(しょざい)していましたが、徳川家康(いえやす)の真宗追放(しんしゅうついほう)が解(と)かれ、もとの青野(あおの=岡崎市下青野町)に慈光寺は戻ることになりました。そこで、村人たちは自らの手によって、慈光寺下里村惣道場(さとむらそうどうじょう)西方寺を創立(そうりつ)したのが始まりです。
本堂(ほんどう)は、1784(天明4)年に再建(さいけん)され、2001~04(平成13~16)年には本堂と山門(さんもん)を修理(しゅうり)しております。境内(けいだい)の中ほどには安城市(あんじょうし)の木のクロマツが在り、市の保護樹木(ほごじゅもく)となっています。文化財(ぶんかざい)としては、安土桃山時代(あずちももやまじだい)の絵画(かいが)絹本著色覚如上人像(けんぽんちゃくしょくかくにょしょうにんぞう)と室町時代(むろまちじだい)の書跡(しょせき)紙本墨書六字名号(しほんぼくしょろくじみょうごう)があります。