松韻寺(しょういんじ)境内(けいだい)付近(ふきん)に東西180~200 m南北180 mの広さが推定(すいてい)されています。古墳時代前期(こふんじだいぜんき)から力(ちから)を持(も)っていたこの地の豪族(ごうぞく)が、奈良時代(ならじだい)はじめに建(た)てた寺院(じいん)です。瓦(かわら)や伽藍(がらん)の様式(ようしき)から、8世紀(せいき)の前半(ぜんはん)に建て始(はじ)めて、完成(かんせい)は8世紀後半(こうはん)と思われます。瓦葺(かわらぶ)きの七堂伽藍(しちどうがらん)で、南大門(なんだいもん)・中門(ちゅうもん)・金堂(こんどう)・講堂(こうどう)を一直線(いっちょくせん)に並(なら)べて、東と西に三重塔(さんじゅうのとう)を建てて、その周りにお坊さんが生活(せいかつ)する建物(たてもの)がありました。東大寺方式(とうだいじほうしき)の寺院です。
今は、講堂が立っていた土壇(どだん)が残っていて、観音堂(かんのんどう)を祀(まつ)っています。東塔跡(とうとうあと)は史跡(しせき)として残され、また、西塔跡(さいとうあと)には心柱(しんばしら)を立てた土台石(どだいいし=中心礎(ちゅうしんそ))を復元(ふくげん)しています。他に土台石(礎石(そせき))や布目瓦(ぬのめかわら)の破片(はへん)があちらこちらで見られます。