昔(むかし)の木戸村(きどむら)は、大雨(おおあめ)のたびに鹿乗川(かのりがわ)の水が逆流(ぎゃくりゅう)して水害(すいがい)が毎年(まいねん)のように起(お)こり、そのために村人(むらびと)の生活(せいかつ)は大変(たいへん)苦しかったようです。
今から200年くらいまえ、木戸村の勘兵衛(かんべえ)という人が領主(りょうしゅ)に年貢(ねんぐ)の軽減(けいげん)を願い出て死刑(しけい)になりました。しかし、役人(やくにん)は年貢を安くしたので、村の人の生活は豊(ゆた)かになりました。明治(めいじ)になると村の人々は、勘兵衛に、毎月(まいつき)「おぶくさん」を上(あ)げて供養(くよう)しました。
長因寺には、木戸村の勘兵衛が寄進(きしん)したという手洗い鉢(てあらいばち)が残されています。