開基(かいき)は、松下円平綱親(まつしたえんぺいつなちか)と言います。本證寺(ほんしょうじ)の空誓(くうぜい)に従って僧になり「釈正因」の法号を賜り、1683年に寺の名前を安正寺と改(あらた)めました。
現住職の話では、綱親は松下加兵衛(まつしたかへえ)の孫(まご)に当り長円寺(ちょうえんじ)で修行(しゅぎょう)をし、この地に寺を建(た)てました。この松下加兵衛とは東三河(ひがしみかわ)あるいは遠州(えんしゅう)の有力者(ゆうりょくしゃ)でした。今川義元(いまがわよしもと)に仕(つか)えており、その時の使用人(しようにん)であった日吉丸(ひよしまる=後の羽柴秀吉)の力量(りきりょう)を見(み)ぬいて、織田信長(おだのぶなが)の家来(けらい)になることをを勧(すす)めた人だと言われています。後に、秀吉(ひでよし)が長浜(ながはま)に城(しろ)を与(あた)えられた時、呼ばれて重職(じゅうしょく)に付いています。
新しくは、1945年の三河地震(みかわじしん)で、本堂(ほんどう)を残して全て倒壊(とうかい)したが、1991年に現在(げんざい)の姿(すがた)に復旧(ふっきゅう)しました。境内(けいだい)には104歳で亡くなられた富田勘一氏から寄進(きしん)された「長寿の岩(ちょうじゅのいわ)」があります。