神明社・小河天神社合殿(しんめいしゃ・おがわてんじんしゃあいどの)と言います。
孝徳天皇(こうとくてんのう)[645~654年]の時代(じだい)に、流行(りゅうこう)した病気(びょうき)を鎮(しず)めるために建(た)てたと言われています。祭神(さいじん)は天照大神(あまてらすおおみかみ)と小河天神で、「神名帳(じんみょうちょう)」にも書かれている古くからある神社です。
また小川天神社合殿には市内最大(しないさいだい)「縦135㎝、横280㎝」の絵馬(えま)があり、裏面(りめん)に1828(文政11)年8月と、奉納(ほうのう)した29名の姓名(せいめい)が書かれています。その中に須脇邑(すわきむら)の鋤柄和助(すきがらわすけ)と行用村(ぎょうようむら)の勘蔵(かんぞう)という制作者(せいさくしゃ)の名前(なまえ)もあります。絵は、横須賀(よこすか)の「萩原保安能敦」と書かれています。神馬(じんめ)を描(えが)いた標準的(ひょうじゅんてき)な図柄(ずがら)ですが、尻尾(しっぽ)を高くかかげて勢(いきお)いがあります。
他にも、日清(にっしん)日露(にちろ)戦争の絵や小川八景(おがわはっけい)を描いた絵に和歌(わか)をつけた絵馬が奉納されています。