三河安城駅が営業(えいぎょう)を始めたのは、東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)が開通(かいつう)して24年後の1988(昭和63)年3月13日です。新富士駅(しんふじえき)、掛川駅(かけがわえき)、新尾道駅(しんおのみちえき)、東広島駅(ひがしひろしまえき)と同時(どうじ)に開業(かいぎょう)しました。
三河安城駅は請願駅(せいがんえき)であるため、総事業費(そうじぎょうひ)の約137億円を全額(ぜんがく)地元(じもと)が負担(ふたん)しました。その50%を安城市が、30%を愛知県(あいちけん)が、8%を周辺(しゅうへん)の市町村(しちょうそん)が、残りの12%は民間(みんかん)の寄付(きふ)によるものです。新幹線と在来線(ざいらいせん)との乗り継ぎの機能(きのう)を持たせているのですが、プラットホームが150mも離(はな)れて設置(せっち)されているため、乗り継ぐには一度改札(かいさつ)を出なければならない珍(めずら)しい駅です。また、新幹線は「こだま」しか停(と)まりません。そして、在来線の方も快速(かいそく)や新快速(しんかいそく)は停まらない各駅停車(かくえきていしゃ)のみです。このような駅は新幹線接続駅(せつぞくえき)としてはここだけです。
それでも、当駅を利用(りよう)する客は着実(ちゃくじつ)に増えています。調査(ちょうさ)が始まった1995年は4277人/日でしたが、2004年に5000人を超え、2014年には6000人を超えています。そして2018年は7660人/日です。これは、安城市が発展(はってん)を狙(ねら)って区画整理(くかくせいり)に力を入れており、町名を二本木町(にほんぎちょう)から三河安城町、三河安城東町、三河安城南町などと変更(へんこう)したり、小学校も南に「三河安城小学校」北には「梨の里(なしのさと)小学校」を創りました。そして、公園(こうえん)も明治用水(めいじようすい)を利用した「矢総公園(やそうこうえん)」、道路の左右(さゆう)を巧(たく)みに活(い)かしたツインパーク。豊(ゆた)かな実(みの)りの象徴(しょうちょう)としてサイロとカントリーエレベータを思わせる収穫の塔(しゅうかくのとう)。まだあります、黄金色(こがねいろ)に輝(かがや)く稲穂(いなほ)をかたどった21世紀(せいき)の塔(21st century tower)など駅周辺に観(み)るものがたくさんあるのです。