亀塚遺跡(かめつかいせき)

亀塚遺跡

弥生時代(やよいじだい)から古墳時代(こふんじだい)にかけて、鹿乗川(かのりがわ)の河岸(かわぎし)には多くの人々が住んでいました。亀塚遺跡には、その当時の生活様式(せいかつようしき)が窺(うかが)える貴重(きちょう)な遺跡です。

1973(昭和48)年と1977(同52)年の2回、発掘調査(はっくつちょうさ)が行われて、弥生時代のつぼ型の土器(どき)や桜皮巻(さくらかわまき)土器をはじめ、竹櫛(たけぐし)、土師器(はじき),銅鏃(どうぞく)、丸木舟(まるきぶね)の断片(だんぺん)、杵(きね)、弓(ゆみ)など多くの出土品(しゅつどひん)が発見(はっけん)されました。なかでも、つぼ型の土器は人の顔がくっきりと描かれており、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に記述(きじゅつ)されている「倭人(わじん)の入墨(いれずみ)」とはこれを指すのだろうと歴史学者に注目(ちゅうもく)を浴(あ)びて、展示説明会(てんじせつめいかい)が開かれました。

この土器は、安城市(あんじょうし)に歴史博物館(れきしはくぶつかん)を建てるきっかけとなりました。人面文壺型土器(じんめんもんつぼがたどき)と名付けられて、2016年8月、国指定の文化財(ぶんかざい)となりました。安城市歴史博物館にいつも展示(てんじ)されているので見ることができます。