安城八景之六
松風の 琴に月澄む 塚の秋 仙風舎柳月 (まつかぜの ことにつきすむ つかのあき)
千人塚は、安城城争奪戦(安城合戦)における戦死者の塚のひとつです。柳月は「安城城を中心として、多くの戦があったことは史実のとおり。戦闘の後、敵味方の区別なく戦死者の亡骸を葬り、塚を築いて松を植えた。これが千人塚の由来で、秋月が照らす夜に、松に吹く風の音を聞きながら当時のことに思いをはせるのは、実に風流なことだ」と述べています。
千人塚とは、「戦人塚」とも書かれることが有って、ここはかつて戦国時代の安城合戦において、大激戦が繰り広げられました。敵味方合わせて約1000人もの死者が出たと言われて塚が築かれたところです。天文9年(1540)6月6日のことです。安城城にいたのは松平長家(ながいえ)で、そこへ尾張の織田信秀(のぶひで)と刈谷の水野忠政(ただまさ)連合軍が攻めてきました。総勢3000人の軍勢です。迎え撃つ長家は約1000人です。城の外に出て戦い一時は追い返しましたが、長家の討死をはじめ信康(のぶやす)、康忠(やすただ)など主な将を失い、大敗をしたのは松平軍でした。その後、織田信秀は城代に信広(信長の兄)を置きました。
安城合戦は、天文18年(1549)に松平・今川軍の攻撃によって終了しますが、その間に何回かの戦闘があり、多くの戦死者を出しました。彼らを弔うために十三塚が築かれました。