慈光寺遺跡之碑(じこうじいせきのいしぶみ)

慈光寺遺跡之碑

慈光寺(じこうじ)はもともと青野(あおの=現在の岡崎市下青野町)にあった寺です。1563(永禄6)年に起こった三河一向一揆(みかわいっこういっき)で徳川家康(とくがわいえやす)に反抗(はんこう)したためこの地に移りました。当時、この地は八幡山(はちまんやま)または八摩山(はちまやま)と呼ばれており刈谷(かりや)の水野氏(みずのし)の領地(りょうち)でした。周囲(しゅうい)は猿渡川(さわたりがわ)や八幡池(はちまんいけ)、鷺蔵池(さぎぞういけ)に囲まれて村人が多く住むところで、真宗(しんしゅう)の信者(しんじゃ)が多くいたのでこの辺りに仮の堂宇(どうう)を置いたと考えられています。20年後に元の場所に帰ることを許されますが、慈光寺が帰還(きかん)したのは1590(天正18)年だったそうです。