寺子屋跡(てらこやあと)

江戸時代(えどじだい)末期(まっき)から明治(めいじ)の初めに行われていた寺子屋の跡です。

師匠(ししょう=先生)は、この土地(とち)「桜井村(さくらいむら)」の庄屋(しょうや)で長谷部貝之助氏(はせべかいのすけし)1827-1893でした。優秀(ゆうしゅう)な筆子(ふでこ)が養育(よういく)され、多いときは120名もの子供が通(かよ)っていたと言われています。ご子息(しそく)の亀松氏(かめまつし)もその中のひとりで、後(のち)に村会議員(そんかいぎいん)から村長(そんちょう)までも勤(つと)められました。

現在(げんざい)は、筆子塚(ふでこづか)と関東地方(かんとうちほう)に住(す)む子孫(しそん)から安城市(あんじょうし)へ寄付(きふ)された土地が残(のこ)されているだけです。